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2019年1月20日日曜日

【はじまりとこれから】 最後のTable de Daisenだったので、はじまりを振り返ってみた。

天候 快晴


やっほー!!
昨日は、『Table de Daisen』を東京飯田橋にて開催してきました。2017年6月25日からスタートし、今回が最後の開催。毎回満員御礼で本当にたくさんの方と一緒に美味しいごはんを食べれたなぁと感謝いっぱいです。



改めて…『Table de Daisen』は、鳥取大山旬食材のコース料理を楽しめる少人数の着席型イベント。ゆったりした空間で、じっくりみんなと話せる時間でもありました。自分で言うのも変だけど、ほんとーにいいイベントになったぁと思います。そんな最後まで大好評の『Table de Daisen』でしたが、そもそもどんな理由で始まったのかを書いてみる。





そもそも『Table de Daisen』は、なんではじまったんだっけ?



1分もないから下記の動画を見てもらえれば分かるのですが、そもそも、なんで『Table de Daisen』が始まったかと言えば、めっちゃシンプルで、まつごんがいたからです。





まつごんは、中高の同級生。地元に帰ったタイミングで、まつごんと普通に話していたときに、ひょんなことから『フードコーディネータ』や食に携わる職をしていきたいんだよねーと話してくれました。特にその時に一気に何かを踏み出そうとしていたというより、そんな思いをもってるんだということを知りました。



ただその時に、いままで自分がやってきた食のイベントの経験や、いま自分が暮らしている大好きな大山の豊富な食資源があるからこそ、まつごんのやりたいことを試せる土台があると感じたんです。



そこで自然に、「じゃあやっちゃおう!!」と瞬時に言葉が飛び出たみたいです。(動画を見て、そんなこと言ってたのかと思い出せす笑)



この時は、まだまつごんは大山には遊びに来たことはなかったのだけれど、フードコーディネーターとして実際に、メニューを考え、料理を提供することに楽しさを感じてくれて一緒にやることになりました。そして実際に、第一回目にチャレンジしたのが、2017年6月でした。



『大山』に触れて、更に最高のコース料理に。



そして初回から、とびきりのメニューを作ってくれました。そのコース料理が下記の写真。


(関連記事『【Table de Daisen in TOKYO】旬の大山食材をコース料理で味わおう。』)

んー美味しそうすぎる。鳥取大山に訪れてないのに、このクオリティはすごすぎる。だからこそ、実際に大山に訪れてもらって、大山に暮らす生産者さんや友達に触れてもらったら料理が更に進化するのでは…!?



そんな思いをもとに実際にまつごんに大山に遊びに来てもらい、大山に暮らす生産者さんや作り手さんなど大山の『食』に触れるツアーを敢行したりもしました。(関連記事『【食のメグミをサグル旅】大山の『食』を感じに、フードコーディネーターがやってきた。』)



この時お世話になったのが『よしぱん』『風見鶏』『大山恵みの里』『地蔵滝の泉』『鮨の郷 たむら』『ダチョウ観光農園』『國吉農園』『移動バーテンダージャミー&goccoのママゴト食堂』『大山館(おにぎりくんのおにぎり)』『森のスープ屋 Cinema Valley』『長田茶店』『一銭屋 岡本(駄菓子)』。



『パン』『水』『野菜』『魚』『卵』『鶏』『お茶』『駄菓子』。そして農作物を一から育てる『みっつ』『まっさん』。そして食材を素敵なかたちにして提供してくれる『よしぱん』『風見鶏』『たむら』『Cinema Valley』『ながた茶屋』。



滞在時間は36時間程だったけど、実際に鳥取大山の『食(ひと)』に触れたあとは、頭の中でどんどんメニューが思い浮かんだらしい。やっぱり実際に、その土地のひとに会って、その土地に触れることはとても大事だし、料理を作るのも楽しくなったと言っていた。



大山にきてから、友達が作った野菜やお米を食べることが多くなったのだけど、ほんとにそのごはんが美味しいってだけでも幸せなのに、それが友達が作ったものだと更にハッピーになるんだよね、きっとその感覚といっしょ。



はじめてまつごんが大山に訪れたときに、そこで暮らす生産者さんひとりひとりが、「なんで大山の野菜が美味しいのか。」そんな疑問にも丁寧に向き合ってくれたからこそ、その丁寧さが、まつごんが料理を作るときのイマジネーションにも繋がったのだと思います。



なので、大山でまつごんに出会ってくれたみなさんに本当に感謝です。はじめてまつごんが大山に来て、生産者さんに会ったときの印象を話してる動画もはっておきます。興味ある方はぜひ。










『Table de Daisen』、一区切り。



そんなまつごんの一言からはじまった『Table de Daisen』ですが今回で、一区切りです。



2017年6月から始まりましたが、約一年半を通して…
春夏秋冬の鳥取大山旬食材のコース料理を提供し、味わう機会を作り続けてこれたこと。安くはない価格にも関わらず、毎回たくさんの方が足を運んでくれたということ。そして何よりもめっちゃ美味しそうに食べて、楽しそうに帰っていく参加してくれたみんなの姿を見れたこと。



そのどれもがまつごんにとっても、僕自身にとっても大きな自信になりました。



こうした『食』の取り組みを継続していくことにより、『食』を通してのお仕事の依頼なども頂いたり。第三者の方が見た時に、こうして『食』として価値を提供できると判断してくれたことも非常にうれしいことでした。フードコーディネーターまつごんがカタチにしてきたことが認めて貰えたからこそ。(関連記事『【KAIフェス2018】面白そうだから、大規模DAISEN PARTYをやってみた。』)



そんな色んな経験や自信をえれたところで、一区切り。フードコーディネーターまつごんにとって『Table de Daisen』を通してできることは、全てやりきり、出し尽くしてくれました。



30人前の料理を毎回作るのはとても大変だったと思いますが、会を重ねるごとにドンドンどんどん効率よく余裕がでてきて、そして最後には貫禄まで。成長しすぎててすごいーーと思ってみてました。それでもっておしゃれで、何よりも何よりもめっちゃ美味しかったです。まつごんほんとにありがとう、おつかれさま。次のすってぷだね。




『Table de Daisen』の、次のステップ。




そして『Table de Daisen』で得たものも、しっかり次のステップに別のカタチに繋げていきます。毎回『Table de Daisen』の端っこのスペースで、どでかい撮影機材を持って料理メニューを撮影していたのは覚えているでしょうか。



実は、一年前から「大山の旬食材をまとめてレシピブックを作ろうよ。」と、まつごん、ひろぽん、きょんちゃん、川ちゃんに声をかけていました。食材には旬があります。なので、一年かけて作戦会議をしながら、写真撮影を敢行し、その時しか撮影できない旬の素材をためていたんです。



自分がやりたいのは、大好きになった大山の魅力をつたえること。その手段はなんだっていいんです。ちゃんと伝わるものであれば。そんな場所の魅力と、人とのタッチポイントを作る仕事が、僕にとっての『観光』という仕事です。今回は、『本(マガジン)』を作りますが、僕にとっては、それだって『観光』の仕事です。



そして、一年以上越しに、カタチにします。最初に話していた『レシピブック』とは異なりますが、いままで『Table de Daisen』で出てきたメニューやそのレシピも楽しめる要素を含んだ、ちょっと変わった隔月出版の『カルチャーマガジン』を出版します。みんなの暮らしに切っても切れない、いちばんだいじな第一次産業にフォーカスをあてています。



2月24日(日)15:00-19:30 には、東京の岡山とっとりアンテナショップ催事スペース2階にて出版イベント&トークイベントも開催します、本の名前も含め詳細は近々お伝えします。もちろん鳥取大山の美味しい料理も用意しますので、ぜひ予定をあけといてもらえると嬉しいです。



『LAST Table de Daisen』写真集



それでは最後は今回のメニューとイベントの様子を写真で振り返っていきましょう!


コースメニュー7種

①サツマイモのカナッペ




②炙りホタテのカルパッチョ




③春菊とブラウンマッシュルームのサラダ




④人参ポタージュ




⑤大山鶏の包み焼き




⑥松葉ガニのパエリア




⑦サツマイモとレモンのパウンドケーキ





参加したみんなの様子



定員いっぱい最後も大盛況でした。


みんないい笑顔。


國吉農園(みっつ)のにんじんポタージュ。にんじん嫌いなのだけど、「これはカボチャ!」と言い張ってめっちゃ甘くてびっくりしながら飲んでいた!






ドリンクでは、毎回稲田姫、八郷、白バラ牛乳にお世話になりました。


スクリーンでは撮りためたいろんな大山の映像を流しています。




最後はのこった参加者のみなさんと集合写真。ぱしゃり!!



いやー本当に何度振り返ってもいいイベントだったなーと心から言えます。



本当にTable de Daisen遊びに来てくれたみなさん、ありがとうございました!いつも参加してくれるみなさんのおかげでめちゃめちゃ楽しみながらできました。まつごんも本当にありがとう!またひょんなタイミングで、復活するかも?!なときまでお楽しみにー!!



本当にありがとうございましたー!!







2019年1月14日月曜日

【東京世田谷から鳥取大山】三年と三分の二で、“今の場所”にいる理由を考えてみた。

天候 快晴
今歌 『予感』SUPER BEAVER





やっほー!!!
鳥取県大山、今日は最高の天気でしたー!
思わず、ゲレンデまでひとっとびしてきました。



我が家からゲレンデまでは車で10分で行けちゃいます。
そしてゲレンデまでのアクセスリフトも乗車は無料!
なので、ゲレンデまでは誰でも遊びに行けちゃうんです。



日本でも珍しい『海が見えるゲレンデ』である大山。
今日の最高の景色がこちら。ぱしゃり。





いやーやばいっす、ほんとに。そして振り返れば、冬の大山もドカン。





正直、冬の大山の姿がいちばん好きです。存在感あるし、かっこいい。



そんなこんなで今日は、暮らしている場所にも関わらず、いろんなとこで写真をとってははしゃぐ一日でした。大山にきて四年目に突入するにも関わらず、初めて見たかのように、こうして景色ひとつひとつに心が動くのがすごい。



特に何かを書こうと思って書き始めたわけではないのだけど、書き始めると手が勝手に動き始めることもあるわけで、年始ということで、今じぶんがなんで大山で楽しめてるのかをちゃんと自分で再認識して進むための記事にしよかな。



年明けて東京から大山に戻ってから、お世話になっているひとのとこに行って挨拶して、昨日はDAISEN PARTY新年会で鳥取の愉快なメンバーにもあえて、あたりまえすぎることなのだけど、東京にいたままだったら、絶対知り合わなかったんだろうなと思ったら、まじで不思議な気分になった。



なんかパラレルワールドみたいな感じなんだよね。全く新しいもう一つの育った場所ができたみたいな感じ。



大山きてから出会ったひと、今の自分の人生には欠かせないひとばかりで、そんなまじでミラクルなことがありえてる今がすごい。



未来で何かを成し遂げたいとかそんなんよりも、いまがすごい。
いまがすごいぞ、ちゃんとそんな当たり前をかみしめる。



そんな今の自分の足元というか、現在地について改めて、自分で確認するための記事をかこっか、よーいどん。




三年と三分の二で、“今の場所”にいる理由。



新年初めに、鳥取県の広報誌の新春座談会に呼んでもらいました。
座談会のメンバーは、鳥取県平井知事、鳥取商工会議所会頭の藤縄さん、一般社団法人 麒麟のまち観光局事務局長の石塚さん、ゆの宿彩香 女将の青木さん、鬼太郎の里わたなべの原田さん。
(関連記事『【とっとり県政だより】面白そうだから、新春座談会に参加してきたよ。』)

掲載広報誌10部も頂きました。

それぞれ鳥取県各エリアで地道に活動し、活躍されている方ばかり。メンバー構成で言えば、鳥取の観光地である鳥取東部(鳥取砂丘)、中部(湯梨浜)、西部(大山、鬼太郎ロード)その場所を代表してそれぞれ一名。



東京から鳥取県大山に地域おこし協力隊でやってきてから三年と三分の二にも関わらず、こうして鳥取県の広報誌で、新年の大事な企画でお話しする機会を頂けるのは本当に有難いことだと思っています。



ただ客観的に見ても、個人的な感覚で言っても、想像してるよりも早く日の目を浴びている方だと思います。たった三年で、こうして鳥取の観光や産業の一線で取り組んでいる方々と一緒にお話しできる立場に立たせてもらっていることからみても。



じゃあなんで三年で、その立ち位置にいけたのか。人とのめぐりあわせや、ラッキーなことなど言葉にできない不確定要素がたくさんある大前提で、それと同じくらいしっかり言葉で説明できることもあります。



キーワードを三つ挙げるとすれば、『環境』と『連続性』と『枠』。
この三つの掛け合わせで、三年という時間が密度と奥行きを生み、三年で今の場所に連れてきてくれました。



『環境』



一つ目の要素は、『環境』。
自分がいる環境が変わることによって、本来時間をかけて経験するはずの機会がより早く回ってくるようになりました。具体的に言えば、東京生まれ東京育ちの自分が、鳥取県大山に『環境』を変えたことで、その存在感と希少性が高まり、『個人』としての意見がより求められる機会が多くなりました。



ただでさえ地方では、人材不足・若者不足であるからこそ、若者ひとりひとりの存在感が大きくみえるのですが、これに加えて、『鳥取大山での観光』という文脈では、東京出身のいわゆるソトものの目線をもった自分の意見がより求められました。



東京で働いていた時は、先輩や上司のもとで、自分なりの意見を求められれますが、そこでの最終的な判断は先輩や上司よりのものが多くなりがちでした。なぜならその環境において、後ろ盾となるアイデンティティがないので、自然と経験ある意見に寄ってしまうのです。



けれど、鳥取大山で観光の仕事をする際には、東京出身東京育ちという出自がすでに後ろ盾となるアイデンティティになります。出自が、大山の観光で求められてることと重なっているので、自らの意見をより自信をもって言い切れるようになりました。



『環境』を変えることで、自らの意見の価値が高まり、高齢化が進行する地方においての若者としての希少性が、さまざまな機会を運んできてくれました。大山に移住した当時、何の実績も持ち合わせていなかった僕自身が、身を持って体感したことだからこそ言えます。



そして様々な機会がいち早く回ってくるからこそ、今まで“未知”だったものが”既知”の経験に変わっていき、自分の中の“あたりまえ“が増えていきます。そんな経験が積み重なるからこそ、また新しいステップに自然に進んでいけました。



ちなみに、地方が若者にとって面白いと言われる一番の理由はこの『環境』にあります。
人材不足・若者不足であるからこそ、『若者』が地方でやりたいことをカタチにしていくこと自体が、自然と求められている課題解決に繋がっていくんです。若者の存在自体が、求められている課題解決(それが本質の課題解決かは置いておいて)に寄与しているんです。



ただ誰でも彼でも地方にいけば、チャンスが巡ってくるわけではないと思います。例えば、鳥取大山にやってくるタイミングが『40歳』であれば、同じような機会の巡りはなかったと思います。ただ『40歳』でも、その年齢がより活きる環境は当たり前にあると思います。



あくまで、『東京出身東京育ち』の『26歳』が、タイミングとして活きる環境が『鳥取県大山』の『観光職』だったのだと今思えば分かります。



ちなみに僕の場合は、明らかに本来の自分のサイズよりも大きな機会が回ってきている認識がありました。そしてその結果、色んな機会を得た実感もありました。でもキッカケはなんだっていいと思ってます。そこから得たチャンスを本気で繋げていく覚悟があれば、機会の大きさに自分のサイズが自然と追い付きます。



なので、びびりそうなことほど、やっちゃうのが吉。
やっちゃえばどっちに転ぼうとも、それは自分にもどってくる経験に。



ここに関連することについては下記記事から深掘りどうぞ。
(関連記事『【大人の自由研究】ベスト三選〜大事なことは『ほぼ日手帳』が教えてくれる。〜』記事内の自由研究名①『地方と都市におけるエビングハウス錯視 』参照)




『連続性』




二つ目の要素は、『連続性』。
自分がいる『環境』が、どういう『連続性』のつながりのもとにあるのか。それをしっかり把握できると、その『環境』にいることが、自分だけの力ではないことに気付きます。



時間を引き継がせてもらっている感覚。いま自分がやっていること自体、今までの連続性の上に立たせてもらってやっているということ。



『連続性』については、大山に来る前から今にいたるまでを振り返ってみると分かることが多い。例えば、大山に移住する前、はじめてきたときに、めっちゃいい場所だと思うと同時に「これは良いタイミングだ!」と感覚的に感じたんだよね。



それは、個人的なタイミングもそうなんだけど、大山で新しい人を迎え入れ、何かを生み出そうとする空気感ができあがりつつあるのを肌で感じたからなんです。(関連記事『はじめての地〜鳥取〜』2014年11月16日)



そして、実際に大山に移住して、方向性が決まり、協力隊任期三年のところを一年で卒業。大山にきてここまではやく方向性が定まったのも、この連続性の上にのせてもらったからだと確信しています。



具体的な例で言えば、大山にきてから一年お世話になったお城付きシェアハウスのまどま。ここは、協力隊の先輩が作ってくれた場所なのだけど、ここの存在も大山での暮らしをする上でとても大きかった。当時の記事を引用します。


のまど間に地域の方達が集まってくれるため、自分から様々な場所に出向く苦労は、とても少なかったと思います。

つまり、地域起こし協力隊のフレーズで良く聞くような
「一年目は、地域の人に自分を知ってもらう」
これがのまど間にいたことで三ヶ月くらいで達成できた肌感覚がありました。 

やぶちゃんの「自分がした苦労(無駄な)をさせない」システムの上に、のっからせてもらって、そこで動きまくったからこそ、ここまで一年間で自分のやりたいことも明確になったんだなぁと思います。

感謝。いま自分がいる場所は、誰かが創ってくれたものの連続の上にたっている。その感謝を忘れないように!!
(引用元:『グッバイのまど間』2016年4月25日月曜日)!


引用記事にあるように、やぶちゃんやダニエルさんの想いから創ったのまど間に住ませてもらったからこそ、時間を引き継いでそれを土台に変えられています。もっと根本を言えば、その前には、そんな協力隊の制度を取り入れた築き会の存在があり、その築き会がいっしょに取り組む大山に暮らしてきたひとがいる。



その連続性の上に立たせてもらっている。全部が自分でやっているんじゃなくて、あくまで自分は全体の中の一部で、その全体の中でもちょうど目立つ場所に立たせてもらえてるだけ。記事の最初で、日の目を浴びるのがはやいといったのだけど、言い方を変えれば、日の目を浴びさせてもらってるとも言えるんです。



『大山』という場所の魅力を伝えていく仕事だからこそ、『連続性』の意識はいつも自然ともってます。いまの『大山』は、これまで暮らしてきたひとの連続性の上に成り立ってるからね。それが自分が大好きな大山なんです。




『枠』




三つ目の要素は、『枠』。
一つ目の『環境』が『今現在』。二つ目の『連続性』が『今と過去』にフォーカスをあてたものだとすれば、三つ目の『枠』は『今と未来』。



具体的に言えば、未来に向けた時間軸の『枠』を外すことで、今取り組むことが、目標とした何年後かのためではなく、未来全部のためになる。



めっちゃ感覚的で抽象的すぎて分かりにくいと思うんで、ちょっと具体例。



例えば、地域おこし協力隊で活動してた時のはなし。協力隊は、三年の任期があるため、その三年間での『自らが目指す観光のカタチ』の目標値を、対外的に示す必要がありました。その枠の中で、当時は、答え出ぬままどうカタチにしていくかをひたすら考え実行し続けた一年間でもありました。



そして、がむしゃらにやっていく中、いま自分がやろうとしている『大山の魅力である暮らしの入り口を作る』ことは、そもそも時間軸でいつできるのかということは言い切れないことだと気付いたんです。暮らしは人がおりなすもので、その中で関係性を築いていくことは数値化できるものではありません。積み重ねた暮らしの中でのコミュニケーションの結果として、大山の暮らしに触れる入口をつくることができる。



そのためにできることは、三年でカタチにするためにこんなことをしますという周りを説得することではなく、未来の『枠』を外した『今』に向き合い続け、ひとつずつ思いをカタチにしていくだけでした。そしてそのカタチが自己紹介になる。だからこそ、カタチにできた時が、カタチにするタイミング。



めちゃくちゃ逆説的なのですが、その未来の『枠』を外したからこそ、三年という枠ではできなかったことが、結果として三年以内に実現できたんです。当時の記事を引用します。


一目ぼれした大山の魅力である『暮らし(ひと)』にアクセスできるカタチをやっと実現できました。しかし、いままで『暮らし(ひと)』というものは、そこに住んでいるひとと知り合いでなければ、触れることはできませんでした。

そこに触れるようなプログラムを民泊という個人単位で体験できるものはあれど、地域全体としてその価値を提供している場所はなかなかありませんでした。

理由は簡単で、『暮らし』だから。そこには、ビジネス的な入口では決して越えられない壁がある。ビジネス的観光の『非日常』と、その奥にある『暮らし』の越えられない壁。

つまりは、『会社』という入口からでは簡単には実現できないことなんです。いつその土台ができるかもわからないから、費用対効果を考える『会社』という仕組みでは「趣味でやれ」と言われておわるとおもいます。そして、それは『行政』でもいっしょ。

だからこそ、ぼくは地域おこし協力隊を一年で卒業しました。

『暮らしに触れるプログラム』をカタチにするには、自分自身が暮らしながら、まわりのかたとの関係性を1からつくっていくしかないとおもったから。
そして地域おこし協力隊の三年間という限られた任期ではなく、人生を懸けてやる覚悟がないとカタチにできないと感じたから。


この二年半さまざまなことをがむしゃらにしてきて、おかねじゃ変わりえないものをたくさんたくさんいただきました。その自分自身がこの二年半で培ってきたもの。いまその二年半で培ってきた『もの』から、さまざまなものがうまれはじめてます。

(関連記事『【Orange Trip For You】大山の暮らしに触れるオーダープログラムはじまります。』2017年11月1日)



改めて、未来の『枠』を外したからこそ、三年という枠ではできなかったことが、結果として三年以内に実現できた。



そして個人的には、未来の『枠』は、可能性を閉じてしまう無意識の『檻』になる可能性もあると思っています。とてもとても大きな目標(未来の『枠』)に見えることでも、もしかしたら、掲げている目標よりも、もっともっと遠くにいける可能性があるかもしれない。でもその目標が絶対だと思い込んで、それ以外の可能性を無意識に選ばないようになる。



それっぽい『枠』をつくることによって、何かを劇的に変えるような、進めるような、目標よりももっと大事な不確定要素(人とのめぐりあわせや、出来事からの選択など)をはじいてしまうことはあるかもしれません。直感よりも理性を選ぶ感じ。



方向性さえ、ベクトルさえ決まっていれば、『今』を積み重ねることが、可能性を広げていくし、未来の『枠』を外すことで、たくさんのラッキーな不確定要素がそのまんま自分を推し進めてくれる。



もし僕が地域おこし協力隊としての三年での目標を、大山の魅力を伝えるために『ツアーデスクで、柱となるツアーを10本作る』とそれっぽい目標にして掲げ続けていたら…



おそらく地域おこし協力隊を一年で辞めていなかったし、野菜通販OrangeBoxをはじめてなかっただろうし、『DAISEN WORLD』というサイトはできていなかっただろうし、チーム水彩は生まれてなかっただろうし、東京江東区東大島の『SUI SAI BASE』も存在しなかっただろうし、泊まれる芝畑『トマシバ』もできてなかっただろうし、大山の拠点『シゴト場カケル』もなかっただろう。



あげたらきりがないのだけど、方向性はありつつ、未来の『枠』をはずせたからこそ、三年と三分の二で、こんなにも自分にとっては想像もできなかったオモロイ今を歩いている。



方向性という補助線は打ちつつも、ところどころでくる『不確定要素』に対面した時に、本線をどう歩むかの舵切りするのは直感による決断。直感は自分だから、『今』目の前を積み重ねるスタイルなら、自然と直感による舵切りする。自分のまんまで少しずつ大きくなっていけるのが、『大山』という場所。



そんな『不確定要素』さえも、プラスに引き付けられたからこそ、三年と三分の二で、“今の場所”にいれるのだと思います。




“今の場所”にいるからこそ、できることを。





そんな『環境』と『連続性』と『枠』の掛け合わせ、そしてそこから生まれる人との出会いやラッキーな出来事が、今の場所に連れてきてくれました。



めっちゃ感覚的で、抽象的なことを言語化しているので、わかりにくい部分もあると思うのですが、自分がどうして今楽しんでいられるのか、今の場所にいられるのかを、改めて認識しておきたかったので、自分のためにも記事に残しておきます。



そしてここまで、ラッキーでおもろい連鎖が起きたのは、自分が自分のままで進める環境があったからこそだと思っています。



最後に話した未来の『枠』を外すということは、目の前の『今』にフォーカスして、まずは自分で小さくはじめるということです。その自分で小さくはじめられる環境が、ここ『大山』にはありました。



そんな自分のまんまで少しずつ大きくなれる。それこそが大きな資本が必要な『都市』や『組織』にはできない『場』としての楽しい在り方なのではないかと思っています。ここでいう『場』は、大山という場にも言えるし、チームという場にも言えること。



この三年間で“今の場所”に連れてきてもらったからこそ、今度は自分だけでなく、自分の周りもいっしょにそのまんまで少しずつ大きくなれるような『場』を、みんなと作っていきます。



正直、有名になりたいとは一ミリも思ってないし、有名でもないのだけど、ただ鳥取における今の自分の影響力や知名度が、そんな『場』の在り方を創るエンジンになる可能性があるなら、今年は楽しみながらそこに全力、全力疾走で力を注いでいきます。それが自分ができることだし、おもろいとおもえること。



チームでいっしょにやれるいいとこって、弱いとこは弱いままでいいとこなんよね。そこもおもしろがれるし、たのしめる。全力で一人じゃ生きれないし、全力で一人じゃなんもできんから、みんなと一緒にやってるんだと再認識。めっちゃ弱いから、めっちゃ強い。



ということで、改めて言語化してみることで、気づいたことは、まじでラッキーマンだということがわかりました。分かってはいたけど、まじでまわりにありがとうすぎた。ありがとうーそんなウルトラな感謝を忘れずに、爆速で駆け抜けていく一年にします。



爆速は毎年やんという突っ込みその通り、走れるときにこそ全力で。
それでは、今年もめっちゃ楽しんで最高の一年にしちゃいましょう。
おみくじ三回引いて全部吉だったから、みんな大吉!!!!