人生行き当たりバッチリ! 26年間生まれ育った東京世田谷を離れ、鳥取県大山町に一目惚れ移住! 大山町地域起こし協力隊を一年で卒業し独立!sunsunto代表。 現在は、OrangeTrip(ツアー)OrangeBox(野菜通販)等の事業を展開。コンセプトは、『暮らしに触れる観光』。
2017年4月1日土曜日
ありがとう。
この文章は、『いまの感情を書き残しておきたい。』
ただそれだけの想いで、書き記す文章です。
自分のための文章なので、そのあたりあしからず。
3月30日(木)の夜、やすみさんが亡くなった。
平澤牧場で出会い、大山にきてからとてもとてもお世話になった人。
僕が地域起こし協力隊を辞めたあとも、地域に残り活動できる心の拠り所になったのは、やすみさんと平澤さんのふたりがいたから。
平澤牧場に安見さんの知り合いが遊びにくると、
「まーしーっていうんだ。家族みたいなもんや!!ワハハ!」
と、いつも紹介してくれていた。
ぼくが協力隊を辞めてからは、
安見さんは、大丈夫ラーメン(いつも大)や、うまいチャーハン(大盛り)を作ってくれて、「まーしーからは、金はとらん!!」と言って、一切お代をうけとろうとしなかった。
「家族からはお金はとらん!」とかたくなだった。
平澤さんも「若者を応援するためにいるんだ!助け合い!」と言って、毎日ごはんを作ってくれた。
僕が地域起こし協力隊を辞めたあとも元気にやってこれてたのは、実はそういう理由だ。
めちゃくちゃ助けられてたから、いっぽいっぽ進めてたんだ。
この一年は、安見さんと、平澤さんと一緒に過ごす時間がとても多かった。
「家族みたいなもんだ」と言ってくれたように、
本当に昔から知ってたみたいに一緒にいると落ち着けるし、楽しい時間だった。
そんな安見さんの病気が発覚したのは、去年の年末。
末期の癌。その時点で余命は2〜3ヶ月との診断だった。
そこからは、安見さんの意向で民間療法(温熱療法・無農薬にんじんジュース・気功)で癌と向き合った。もちろん痛み止め薬は使いつつ。
近くで安見さんの生き様を見ながら、「これが生きることなんだ」と何度も思った。
信じられないかもしれないけど…
三月に入ってからは、陶芸もしていた。
力がなくなっているので、僕が道具を持ちながら、二、三日おきに陶芸の作業を一緒にした。夏に向けての話しも一緒にした。
直前で体調を崩れて実現できなかったけども、
三月のまぶや一日店長では、「大丈夫ラーメンをもう一回一緒にやろう!!」と、直前までメニューの見直しなども一緒にしていた。
こんなの本当に一部。近くにいると感じる力。
いまこの瞬間を生き切ってる。
いままで自分が向き合ったことのある大切な人の死は、ぜんぶ突然にやってきた。
そのときにいのちは、いつなくなるかわからない。
だからこそ、今を生きなきゃいけない。それが、生きる根本の指針になっていた。
こうして大切な人に死が、せまってくる。
こんな死との向き合い方ははじめてで…
正直なにをすればいいのか分からなかった。
ただ安見さんへの”ありがとう”の気持ちを、言葉ではなくて行動であわらそうと思った。
さいごのさいごまで、「ありがとう」は言えなかった。
未来を向いて今を生きようとしている安見さんを近くで見ていたからこそ、言えなかった。
自分の中で「ありがとう」を言ってしまったら、未来を向いている安見さんの糸を切ってしまう気がして言えなかった。
安見さんの立場になって、必死に生きようとしている時に「ありがとう」はなんて聞こえるか考えた。きっと「さよなら」に聞こえるんだ。それってきっと悲しい。
だから、言えなかった。
亡くなる少し前、これが会える最後だと思って、平澤さんと川ちゃんと安見さんに会いに行った。
いつも通り平澤さんのことばに「うるちゃーい」とおどけてたり。
まだまだ目は強く芯があって、意識も少し合って、でも確実に弱っていて。
これが最後だと思っても、やっぱり安見さんを目の前にすると「ありがとう」を言えず、手をギュッと握りながら最後に言えたのは「またきます!」のひと言。
その日の夜、くるまで帰り途中そんなはなしを川ちゃんとしてて
『きっと「ありがとう」と言っても、やすみさんは悲しまんと思うよ。』とひとこと。
そうだな、そうだな。感謝は、感謝として伝えれば良い。
「さよなら」の「ありがとう」ではなくて、
「ありがとう」の「ありがとう」を伝えれば良いんだ。
今までのありがとうを伝える。
そして明くる日、こんどは一人で病院に安見さんに会いに行った。
家族面会のみの中、安見さんの弟さんが会わせてくれて。
会いに行くと、
それまで寝転がっていたのにむくりと起き上がってくれた。
もう身体が限界がきてて、でも目は生きてる。澄んでる。前向いてる。
やっぱりすごいと思った。すごい。
そして手を強く握りながら、
今度は何回も「ありがとう」を言った。何回も。
その日の夜に安見さんは亡くなった。
死が、せまってくる。その時に本当の人の生き様がでるのかもしれない。
今まで、いつ死ぬか分からないからこそ、今を全力で生きるんだ。
そうおもってた。そう思って、今を生きていた。
でも、もしかしたら違うのかもしれない。
いつ死ぬか分からないからこそ、今を生きるんじゃない。
いつだって生き切るからこそ、今を生きれるんだ。
だから、きっとやすみさんに後悔はない。
だって、いつだって生き切ってたから。
すごい生き方だ。近くで見れて幸せだった。
本当に本当にありがとうございます。
短い間でしたが、とても濃い実り多い時間でした。
家族みたいに暖かく受け入れてくれてありがとうございます。
やすみさんに出会えて最高に幸せでした。
生き切るからこそ、今を生きれる。
これからの人生の糧にして、
安見さんが認めてくれた今の自分で、とまらずいっぽいっぽ進み続けます。
本当にありがとうございました!!!!!
天国でも悪ふざけしながら、見守っててください。
1988年7月23日
東京都世田谷区出身。
早稲田大学人間科学部を卒業後、約二年間広告代理店の営業職に従事。偶然WEB求人で目にした”大山町観光プロデューサー職”の募集に、直感的に魅力を感じ大山町へ。
はじめて訪れた際、大山の自然、人に一目惚れし、移住を決意。2015年地域おこし協力隊観光部門として活動。旅行業界唯一の国家資格・国内旅行業務取扱管理者免許を取得。
自ら事業を起こすため、1年で独立。
2017年sunusntoを立ち上げ。『”大山の暮らし”に触れる』をコンセプトに三つの事業を展開中。
Orange Space〜暮らし体験〜※紹介者限定
Orange Trip〜暮らすひとが届ける観光プログラム〜
Orange Box〜暮らしを届ける野菜通販〜
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5 件のコメント:
安見さんにちびっこバイクで大変お世話になりました。4日に知人を通じ安見さんの訃報を知りびっくりしました。何か知りたくてここにたどりつきました。
春になったらまたバイク乗りに…と思っていたので突然の訃報、まだ自分の中で整理がつかず投稿してしまいました。
どこに行けば手を合わせられるのか…自分で調べてみます。
わざわざコメントいただきありがとうございます。
年末からあっという間のことでした。
しかし最後まで、安見さんらしい生き方でした。
大山町の平澤牧場にて、安見さんの写真と手を合わせられる場所がありますので、
ぜひ行ってみてください。
土日祝日11:00~14:00であれば家主のかたもいらっしゃいます。
平澤牧場
http://hirasawa-bokujyou.com/
ありがとうございます。いってみます。情報ありがとうございました。本当に助かりました。
今年の夏も鳥取に伺う予定です。
平澤牧場でチビッ子バイクの予約をしようとしたのですが、安見さんの名前がありません。
いろいろ探したすえ、まーしーさんに辿り着きました。
昨年の夏、2日間でしたがチビッ子バイク三昧でした。
私たち家族が「埼玉から来た」と告げるとおもいっきり笑っていました。
しかも「埼玉から来てるんだから、好きなだけ乗っていいぞ」と
つけ麺を食べに伺ったとき「めんどくせーなぁ」と言いながら、作ってくれたのは私たちの最高の思い出です。
まーしーさんのことを息子のように、話していたのを思い出しますよ。
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