2018年9月5日水曜日

【自由研究】『ブロッコリー』から見えた『感覚』と『言葉』の関係性。

天候 タイフーン
今歌 「太陽の憂鬱」The Songbards


やっほー!!
本日、Twitterでやりとりをしていたら、久しぶりにひょっこり『ブロッコリー』がタイムラインに顔を出した。




非常に懐かしい記事だけど、この記事はタイトルが『ブロッコリー』にも関わらず、その後一言も『ブロッコリー』が、まともに言えてないという伝説の記事である。気になるひとは、上記つぶやきのリンク先でご覧ください。きっと意味は分かるけど、その現象の意味わからないと思います(笑)



なんでこんなことが起こるのか自分でも全然わからないのだけど、個人的に昔よりかなり日本語がうまくなったという印象はあります。それは『感覚』の世界から、『言葉』が必要な環境になってから、如実に感じる。



自由研究風に、ちらっと考察してみる。





『言葉』より『感覚』がものを言う『環境』。




個人的には、高校まで全力でバスケしかやっていなかったことが、『感覚』人間なる原点なのではと思っている。なぜなら、バスケにおいては、『言葉』よりも『バスケのプレイ』が、コミュニケーションの基点になっていたから。



学校では、前提としてバスケやってるまーしーになるから、自分の説明をバスケがしてくれてる感じだった。部活はもちろんなのだけど、中学生の時から大人も交じる駒沢公園のストリートバスケでも毎日のようにバスケをしてたのも大きい。そこでは、同世代だけがいる部活以上に『バスケのプレイ』がものをいう場所だった。



なぜなら大人も交じっているので、中学生でも、『バスケのプレイ』がよければ、大人の仲間入りで、そこからコミュニケーションの輪にいれてもらえる。なので『言葉』からはじまるコミュニケーションより、『バスケ』からはじまるコミュニケーションが多かった。



つまり、『感覚』をカタチにした『バスケのプレイ』が、自分を説明する『言葉』になってたんだよね。しかも自分の人生にとっては、バスケがすべてだったから、『言葉』よりも『バスケ』そのものを練習することに全精力を注いでた。



そして『バスケのプレイ』自体も、身体能力にスキルを付随させたプレイだから、ほかのひとに言葉で説明できないものが多くて、より一層『感覚』方面に走っていってた気がする。



まぁそもそもなんだけど小学生頃から記憶を辿ると『感覚』で行動してたことが多いんだよね。小学生時代は、擬音語と擬態語を使うことがめちゃくちゃ多かったのを覚えてる。動きながら「シュッツシュッ」とか言ってたり、友達と「デュクシッ」と言いながら手を武器にして遊んでたりしてたし(笑)



その『感覚』がバスケをすることで踏襲&加速された感じなのかなと思う。ちなみに一流のスポーツ選手は、言語化の部分もできるし、それがあってはじめて監督の言葉もしっかり理解できると思うので、その部分が圧倒的に足りてなかったなと選手時代の自分を思い出しておもう(笑)





『感覚』より『言葉』がものを言う『環境』。


『感覚』より『言葉』がものを言う『環境』はある。それは今までと全く文脈が異なる『世界』へいったとき。



当たり前なのだけど、それは『感覚』をもって自分を伝えられなかったり、『感覚』を伝えるには時間がかかる『環境』のこと。



二年間浪人して大学に入ったけれど、大学に入ってからも、自分が属するコミュニティは『バスケ』だけだった、大学のサークル、学外のクラブチーム、ストリートのチーム。全部ぜんぶ『バスケ』。



なので大学時代も『バスケ』を基点したコミュニケーションがほとんどだった。それが変わり始めたキッカケが、大学三年のはじめにあった。



そのきっかけは、東日本大震災でバスケが(自粛みたいな感じで)できなくなって、参加した震災のボランティア。そこで出会う人は、ほぼ初めましてで、いきなりその場で『バスケ』をすることなんてできない。環境的にも、『言葉』基点のコミュニケーションしかできない環境だった。



その環境が、久しぶりに『バスケ』以外の世界に入った環境だった気がする。そんでもって、実際にボランティアの現場を体験してはじめて、『バスケ』とは違う興味がわく世界があるのかもと思い始めたキッカケでもあったな。



このあたりから、『感覚』より『言葉』がものを言う『環境』に少しずつ触れ始めて、少しづつ日本語覚えていった気がする。東京から大山にきたことでも、コミュニケーションとしての『言葉』をより学べた。



なぜなら『言葉』基点のコミュニケーションをする『環境』には変わりないのだけど、東京の『言葉』と、大山の『言葉』では内在化する意味にがギャップがあるから。そのおかげで、もう一段、体感をもって『言葉』を勉強するきっかけをもらえた。



そんなこんなで書く言葉にしても、『ブロッコリー』当時よりかは、ちゃんと日本語を扱えるようになってる気がする。



『感覚』からはじまる言葉は、日本特有な言葉で、武器。



ただ個人的に、けっこう長い間『感覚』からはじまるコミュニケーションの『環境』にいたことはよかったのかもと思えてる。なぜならの自分の中の感覚的な部分を養えたから。



面白い事実があって、実は、世界において『擬態語』と呼ばれる『感覚』からはじまる言葉を持っているのは、日本と韓国だけ。しかも日本においては、『擬態語』の数が半端ないし、常に新しいものが生み出されている。あげぽよとか(笑)


下の絵は、個人的に去年『奥行き』が自分の中で流行ってて、そのあたりと連動して引っ付いてきたオノマトペ(擬音語と擬態語)についてまとめたもの(去年かな)




ちなみに『耳』という『感覚器官』を使って察知する『擬音語』は、どこの国にもある。耳から聞こえたものを、言葉に記す。



面白いのがそれ以外の『感覚器官』で感じた情報を『心情(心)』を通して言葉にする『擬態語』は、日本特有のものってところ。なので、擬態語がはいってる漫画の言葉を、海外版に翻訳する時には、対応する言葉がないので、消されるか、そのままの形で残されたりする。



つまり何が言いたいかというと、『感覚』が養われていればいるほど、『言葉』から言葉の奥行きを感じ取れるんじゃないかっていう仮説。それにその能力は、日本人がたぶんめっちゃ得意な領域なんだと思う。



その感覚からできたのがたぶん『日本建築』であったり、『日本画』であったりする。『日本画』とかぜんぜん立体的じゃないけど、たぶんみんな『奥行き』感じる能力あるから、勝手に『奥行き』感じちゃってたんだろうね!



だからこそ、その『感覚』基点のコミュニケーションの環境に長年いたことは、ラッキーだったかもと思ってる。論理的な記号としての『言葉』はいくらでもあとから身に着けられるから。それは自分のブログをみててもあきらか。



そして『奥行き』を感じれる日本人の能力は、もしかしたらより一層ひろがるITの時代において、いちばん必要な能力な気がしてる。なぜならインターネットも『奥行き』がはんぱないから。



インターネットができて、付加価値が『モノ』から『モノの先』に移ったわけだけど、それなんてまさに『奥行き』そのもの。



いまは『モノ』から『モノの先』に付加価値があるんだけど、更に次はその『モノの先』の奥行きに対応する『モノ(リアル)』がのっかるのが最強なのではと思って書いたやつ。





個人的にはそれをリアルで再現したいなと思ってる。だからその奥行きに対応する大山の土台をちゃんとつくる必要がある。



なんかアップル?!が禅をしてたみたいな記事を読んだことがあるのだけど、インターネット時代には、この『奥行き』を感じる力が大事なことに気付いてたんじゃないかなー。



なんか『ブロッコリー』から、『感覚』と『言葉』についてちらっと話すつもりがいつの間にか着地点が『奥行き』になってた(笑)



ちなみに方向性はあるけど、書きながら考えてるから、書いてみないと最終結末がどうなるか自分でも全く分からない。まさか『奥行き』に行き着くとは!笑



ちなみにこれホント個人的な考えなので、あしからずー!
以上、『ブロッコリー』からのひとりごと日記でした~!



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2018年9月4日火曜日

【エコシステム】『エコシステム(生態系)』における『連続性』の土台。

天候 晴れ
今歌 『ミスタームーンライト』プププランド


やっほー!!!
先日チーム水彩の公式noteを更新したのだけど、交換日記スタイルにしたから、初っ端からフリースタイルでやったら、このブログのノリのまんまになった(笑)
(関連記事『SUI SAI 交換日記、はじめます。』)



まぁその話は置いといて、日記代わりにも書いてる本ブログ。最近は、ひとりごと風記事は、大人の自由研究くらいだったんだけど、思ってることを書きなぐるくらいな感じで、また書き始めようと。
(関連記事『【大人の自由研究】ベスト三選〜大事なことは『ほぼ日手帳』が教えてくれる。〜』)



おもってることがある段階で言語化して、ちゃんと見える化して、その見える化できた上で、また考えて言葉を深化させていきたいからかこーーう。



そんなこんなで毎週のようにさまざまなひとがやってくる大山ですが、昨日はチーム水彩の学生メンバーである伊藤隊長が、東京でフリーランスで活動しているキム兄と、おおちゃんを連れてきてくれました。



最近は増えたと聞くけども、東京を軸足にフリーランスで動いてる子と会うことって実は少なくて、いろいろ話せておもろかった。



今回はそこで話した『エコシステム(生態系)』について、改めてちょっと言語化しときやす。







『エコシステム(生態系)』な『場』を作りたい。




フリーランスメンバーのキム兄が、シェアハウスをブランディングするお仕事をしてて、そこでのはなし。



物件的には、住環境やコワーキングスペースに関しては文句なしやけど、駅までちょっと距離あるから、在宅フリーランスに比較的おすすめらしい。ちなみに、シェアハウスと言っても、もともと社員寮で80室くらいあった場所をリノベした施設なので、シェアホテルに近いかも。暮らす人が共有で使える大きなコワーキングやキッチンスペースがある。



そしてシェアハウスに住まう人がそれぞれの職能を掛け合わせて、ドンドンプロジェクトを生み出していくような『エコシステム(生態系)』がある場にしたいということだった。



そんな中で、どうやらこの『大山』という場が、いろんなフリーで働くメンバーが集まるエコシステムができあがってるように見えたらしく、その『大山』にいる中の一人として、何を意識してるのかを聞かれたんだよね。



確かに、いま自分の周りには、フリーランスで動いてるメンバーがとても多く、しかもそれぞれ別々の領域で動いてたり、動けるメンバーがそろってる。しかも、それは自分たちが関わっているエリアだけに限らず。



そんなメンバーの偶然のかけあわせ、自然的なかけあわせで、『トマシバ』なども生まれたりしている。『大山』にきてからの考えを、『エコシステム(生態系)』側に引き付けて一回まとめてみる。



『エコシステム(生態系)』において、『連続性』は『木』。




『連続性』については、大山に来る前から今にいたるまでを振り返ってみると分かることが多い。



例えば、移住する前、大山にはじめてきたとき、「これは良いタイミングだ!」と思ったんだよね。


それは、個人的なタイミングもそうなんだけど、大山で新しい人を迎え入れ、何かを生み出そうとする空気感ができあがりつつあるのを肌で感じたから。


はじめて大山に来た時に書いたブログを引用する。


大山町の地域資源を活かしつつ、そこから何が出来るか。ワクワクすること。
一般的に、地方で新たな施策を打ち出す際には、地域住民の人から白い目で見られたりすることはけっこうあるらしい。

だけども大山町には、チャレンジしてもいい風土が、ここ数年で急激に育ってきていて、地方創生の流れがある中で、これは大山町にとって大きなチャンスでもある!

「間違いなく地方活性化のロールモデルの一つになる。それが、大成功を収めるかは、これから次第!」

そんなダニエルさんの熱い話しを聞きながら、なんとかして自分なりにも協力したい気持ちが湧き上がった。

(引用元:『はじめての地〜鳥取〜』2014年11月16日)

そして、これを機に大山に来ることを決めて、一年でやる方向性が決まり、早めに協力隊を卒業した。



地方にきてここまではやく方向性が定まったのは、明らかに、新しい空気感の連続性の上にのせてもらえたからだと思ってる。



例えば、お城付きシェアハウスのまどまは、協力隊の先輩が作ってくれた場所なのだけど、ここの存在もとても大きかった。これも当時の記事を引用する。


のまど間に地域の方達が集まってくれるため、自分から様々な場所に出向く苦労は、とても少なかったと思います。

つまり、地域起こし協力隊のフレーズで良く聞くような
「一年目は、地域の人に自分を知ってもらう」
これがのまど間にいたことで三ヶ月くらいで達成できた肌感覚がありました。

やぶちゃんの「自分がした苦労(無駄な)をさせない」システムの上に、のっからせてもらって、そこで動きまくったからこそ、ここまで一年間で自分のやりたいことも明確になったんだなぁと思います。

感謝。いま自分がいる場所は、誰かが創ってくれたものの連続の上にたっている。その感謝を忘れないように!!

(引用元:『グッバイのまど間』2016年4月25日月曜日)!



そして、その後独立し、実際に大山で自分なりの関係性を築け始めてからは、誰かが新しいことをはじめるとき、できるだけその関係性にもアクセスできるように繋げてた。引用祭りになるけど、これもちょっと引用する。




うさぴょんは鳥取県の地域起こし協力隊として赴任して事業を展開してるわけですが、よく言われているよな「一年目は人のつながりを創りましょう、活動を知ってもらいましょう」というようなことは、そこまで必要ないと思います。

なぜなら、ぼくがいるので。僕が鳥取、大山町にきてからの繋がりや、情報は全てシェアしようと思っています。モノゴトを進めるのに、必要な過程もあるだろうけど、全てがそうと決まっているわけではありません。

大山町でやぶちゃんが、自分がした苦労をさせない為に、ダニエルさんと創った”のまど間”。僕はそこに住まわせてもらったからこそ、一年間という期間で独立するために必要な人との繋がりや考えに至れたと思っています。
なので、お二人には本当に感謝しています。

だからこそ、何の繋がりもなく初めて鳥取にやってくる人にとって、僕自身がのまど間的役割を果たせればいいなと思っています。最近は、他町の地域起こし協力隊の子や、シゴトの関係で鳥取にきた子、地元の子だったり、本当にいろんな人がよくやってきてくれます。

そのなかにおいて、自分自身の経験や繋がりを独り占めすることに価値はない。みんなと一緒にやっていくから、楽しいんだ。
みんなと一緒に階段を登っていきたいと思います。
そして、その階段を創るために、いつだって全力でおれは駆け回ります笑

(引用元:『【日本初ドローン観光プログラム】「はじめてのドローン」はじまるよ。』2016年7月9日)


そしてこの引用にでてきてるうさぴょんは、大山で登記して起業をして、トマシバもメンバーの一人として一緒にやってる。



つまり何が言いたいかって言うと、あたりまえっちゃあたりまえなんだけど『エコシステム(生態系)』っていうのはイキナリできるものではなく、『連続性』があってなり立つものなんよね。



そしてこの『連続性』は『木』に近いよね。どこまで育つかは正直、育ってみないと分からない。でもこの『連続性』というなの『木』が育つには、大事な要素がある。



きっとその『木』の種類や葉の色や強度なども、その要素で決まる。それは土台、つまり土壌。しっかり肥えた土壌がないと『木』は育たない。



『エコシステム(生態系)』において、『立地』は『土壌』




『エコシステム(生態系)』において、『連続性』が上に積み上げていくものであれば、その土台になる変わらぬ『立地』というものがとても重要になってくる。



そしてその『立地』こそ、『エコシステム(生態系)』の土壌になる。だって、その立地に即した人が集まってくるのだから。そういう意味で、大山にはそもそも自然資源の多様性がある。



その多様性ある土壌があるからこそ、まさにその『連続性』という『木』にも多様な色がまじる。


それもあってか、大山には本当にさまざまな人たちが、立地に即した自分なりの生業を持っている。そんないろんな人によりそえる土壌があることも、『エコシステム(生態系)』を作っていくには大事な要素なのかもしれない。




新しくつくる『場』において、『エコシステム(生態系)』が育つには。




新しくつくる『場』において『エコシステム(生態系)』が育つには、その場所自体に、多様性ある職能を引き寄せる要素が必要。



大山のように土地的立地における土壌はないから、それを疑似的に新しくつくる『場』に再現する方法がいいんじゃないか。



例えばキッチンスペースがあって、『食』に関するひとが作業しやすい環境あったりとか。運動に使えるフリースペースがあって、そこで『運動』や『運動講師(ヨガetc)』がもう体験教室できちゃったりとか。3Dプリンター、レザーカッターとか、『ものづくり』に関するひとがあったら嬉しい道具があったり。



全然違う職能を引き寄せるためのスペースや道具を用意するのが、疑似的な多様性ある立地を作るためには必要かもね。と個人的に思った次第でした。



『自然の立地』からできるエコシステムと、『ひとが作った立地』からできるエコシステムの違いは、このあいだ、ひとりごとで書いた記事と通ずる部分があった。そういう意味でしっかり大山と東京がドッキングというか自然なカタチでつないでいければかなりおもろいことになるはず。
(関連記事『【色で考える東京と大山】きっかけは、成り立ちが違うグラデーション。』)



いやーなんか一緒に話しててドンドンアイデアでてきておもろかったな。
施設的にかなり良いから、今後どうなっていくかがめちゃ楽しみだな。
以上、ひとりごとごと記事でした。



大山に関するプログラム



【DAISEN NIGHT ~芝畑に寝ころび、大山の夜を感じよう~※小中学生無料!!】


天然のプラネタリウムを芝畑に寝転んで感じよう。プロフォトグラファー豊さんによる写真撮影も。

①9月8日(土) 21:00~22:30 残り:残席あり

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